わたしたちのリアル

思わぬ終止符からの出発:キャリアの断絶が示した新しい生き方

Tags: キャリア転換, 早期退職, セカンドキャリア, 自己発見, 人生の学び

予期せぬ知らせ、そして立ち止まる時間

私の人生は、長きにわたり一本のレールの上を走っているかのように感じておりました。新卒で入社して以来、ただひたすらに仕事に打ち込み、会社という組織の中で自分の役割を全うすることに喜びと責任を感じておりました。しかし、定年を数年後に控えたある日、私は予期せぬ形でそのレールから降りることになります。会社の事業再編に伴う、早期退職の勧告でした。

突然の知らせに、私の心は大きく揺れ動きました。長年培ってきたキャリア、築き上げてきた人間関係、そして何よりも「自分は会社に必要とされている」という自負が、一瞬にして崩れ去るような感覚に襲われたのです。もちろん、退職金や今後の生活設計については説明を受けましたが、それ以上に、心の奥底にぽっかりと穴が開いてしまったような喪失感が募りました。私は、これからの自分に何ができるのか、何をしたいのか、全く見当がつかなくなってしまったのです。

戸惑いの中で見つめ直した「自分」

早期退職を決断してから数ヶ月間は、文字通り「立ち止まる」時間となりました。毎朝決まった時間に家を出ることもなくなり、手帳にはびっしりと書き込まれていた予定も白紙です。最初は、この解放感に心地よさを感じたものですが、やがて来る日も来る日も家で過ごすことへの焦りや不安が頭をもたげてきました。私は何者なのか、これまで何を成し遂げてきたのか、そしてこれからどう生きていくのか。自問自答を繰り返す日々でした。

そんな中、私はある日、古いアルバムを開いてみました。そこには、若かりし頃の私が、様々な表情で写っていました。大学の卒業旅行で友人たちと笑い合っている姿、まだ幼かった子供を抱き、希望に満ちた眼差しで未来を見つめている姿。そして、会社に入り、仕事に没頭する中で、いつしか忘れてしまっていた趣味の道具が、埃をかぶって部屋の隅に置かれているのを見つけました。若い頃、夢中になっていたあの活動は、いつの間にか私の生活から消え去っていたのです。

小さな一歩が拓いた新しい景色

この気づきが、私の背中をそっと押してくれました。私はまず、埃をかぶっていた趣味の道具を手入れし、再び触れてみることにしました。それは、かつて私が熱中した写真撮影でした。デジタルカメラではなく、フィルムカメラを片手に、近所の公園や街角を散策するようになりました。ファインダー越しに見る世界は、これまで通り過ぎてきた日常とは全く異なる表情を見せてくれました。光の移ろい、人々の営み、木々のざわめき。それら一つ一つが、新鮮な感動として心に響きました。

そして、カメラを通じて地域の人々と交流する機会も増えました。時には、見知らぬ人から「素敵なカメラですね」「何を撮っているのですか」と声をかけられ、会話が弾むこともありました。かつての私は、会社という大きな組織の中で人と繋がっていましたが、今はもっと自由な形で、個人として社会と繋がっている感覚がありました。

また、以前から興味のあった地域のボランティア活動にも参加するようになりました。そこでは、様々な年代、様々な背景を持つ人々との出会いがありました。かつての仕事とは全く異なる種類の喜び、つまり、誰かの役に立てること、感謝されることの温かさを知ることができたのです。

キャリアの断絶が教えてくれたこと

今振り返ると、あの早期退職の知らせは、私の人生における「思わぬ終止符」であると同時に、「新しい出発点」でもあったのだと感じています。会社という大きな枠組みの中にいた頃は、自分の価値を「役職」や「成果」で測りがちでした。しかし、その枠から一歩踏み出したことで、私は自分の内側にある本当の興味や情熱、そして、人との繋がりから生まれる温かい喜びを再発見することができました。

あの時の喪失感は、確かに辛いものでした。しかし、その経験があったからこそ、私は立ち止まり、自分自身と深く向き合うことができたのです。人生には、予期せぬ出来事が起こり得ます。しかし、それが必ずしも「終わり」を意味するわけではありません。むしろ、それは新しい扉を開くための「きっかけ」となることもあるのだと、私はこの歳になって改めて学びました。

これからの人生も、何が起こるか分かりません。しかし、どのような状況になっても、自分の内なる声に耳を傾け、心のままに一歩を踏み出す勇気を持ち続けたいと考えております。そして、この私の経験が、今、人生の岐路に立たれている方々にとって、ほんの少しでも、未来への希望となることを願っております。